社交不安障害(SAD)出戻り
おはようございます。
さあ、今日どうなったかというと、、、
結論からゆうと、今は行ってます。
今日、朝、いつも通り学校の準備をする息子。
昨日先生と約束したし、今日は気持ちを切り替えて行ってくれるかなと思っていました。
と、その前に、昨日夕方、トイレに行ったら急激に胃と背中、肺、心臓?とにかくどこが痛いのかわからない痛みに襲われて動けなくなりました。
息苦しくなって、、あ、もう、死ぬんかな。と一瞬思いました。
必死にトイレからでて、夕飯の用意も途中だったけど、それどころじゃなく、ソファに倒れ込みました。
胃痛は前もあったけど、今回はまた違って、まじで死ぬと思いました。
家に痛み止めはなかったので、次男に実家に行ってもらい、痛み止めを飲みました。
しばらくすると少しマシになり動けるようになりましたが、やっぱりストレス性胃炎だったのかな。
今回は落ち着いて対応したし、涙することもなくやったのに、体はわかってるんですね。
そして、今もなんとか大丈夫です。
と、そんなこんなで、
今日なんですが、
今日は朝まだ主人がいたので、
息子は家は一度でました、
多分、私1人だと家も出てなかったと思います。
しかし、行ってきますもなにも言わず、フラ〜と出て行ったので、また戻ってきそうやなーとは思っていました。その後主人は出勤しました。
案の定、学校から連絡があり、息子が来てません。と、
家は出ましたと返事しました。
それから、数分後息子が出戻ってきました。
俺にはそんな勇気ない。と
はぁ〜。まだ胃いたなる。と思いながら、
強めの説教していました、
病気を言い訳にして甘えてるだけ、
わがまま、
すねてるだけ、
病気と今回のことは、違う、
その子に腹立ってんやったら自分で学校行って言い返しにいけ、
平日の昼間に小学生が家で何やってんねん、
なんでも行きたくないで済まされるとおもうな、
病気やから仕方ないではない、
などなど、を、強めに言いました。
そうしてるうちに、
保険の先生と校長先生が家に来てくれました。
どーでもいいけど、保険の先生かわいかったです。
で、校長先生も、話してくれて、
なんとか、家をでて、今まだ学校から連絡ないので、学校へは行ってるとおもいます。
校長先生は、
「卒業前はどーしても、不安定になる子は多々いて、
こんなんで、大丈夫かなと不安の中、中学に送り出す子も多いですが、中学行ったらケロッとしてなんもなかったように、生活してる子も多いです。だから、今は心配でしょうけど、あまり深く考えずにいてください。」と。
それを聞いていると涙してしまいました。
さすが、校長先生やな、と。
なんか、すとんと、納得したというか、
気が楽になりました。
だからといって、我が子がそのケロッとする側のタイプかというとわかりませんが、今は一個一個問題解決して、中学に進ますのがまずの目標として、そうしてる間に息子も成長するのかな、と。
主人にも連絡しました。
主人は学校いかんでも勉強は好きなんやから家でさしたらいいんちゃん。と。
わたしの中ではそれは最終手段です。
そんなことしたら、確かに勉強は家でも出来るかもしらん、
でも、人との関わりがないと社会に出れないし、嫌な奴や嫌みな奴とも関わらないと成長できないと思うから。
というと、
今の時代人と関わらなくても出来る仕事はいっぱいある、と
たしかにそうかもしらん、でもでもでも、
そこは最終手段でしょ。
私の時代なんか、
学校行きたくないなんて、まず思っても親に言えなかったし、逆に休む勇気なかったかな。
親に甘えれる家庭環境でもなかったしね。
だから、余計息子に腹立つのかな、
甘えるなと、強くなれよ、と思ってしまう。
強くなるしかなかった私からしたら、ちょっと甘えすぎ。と感じます。
私は親の都合で、中学は1人違う中学に編入して、友達も誰一人いないとこからスタートしました、自分から友達作らないと出来ないし、女子は特にグループが出来上がってるし、大変でした。親は離婚していて、母親には違う恋人がいてその人と3人で生活してましたし、母親は私より恋人優先で、朝珍しく卵焼きを焼いている母に嬉しくなって、卵焼きやー、やったー、と声をかけたら、恋人が好きやから作ってるんや、と言われたのは今だに忘れません。
そんな母もアルコール中毒で肝臓を悪くして私が20歳の時他界してます。
と、まあ、私の身の上話はおいといて。
とにかく、もっと強くなってほしい!!
負けるなよ!!
とにかく、今日は、行きました。
さて、明日はどうなるかな、、、。
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ではでは。